僕と日本選手権予選@2001
2005年6月8日各地の予選通過レポートがアップされている中、いまさら感満載のこの企画なのですが、一番の目的は筆者の仙台予選へのモチベーションアップなのでひっそりと続けていきます。今回は2001年の日本選手権九州予選、このとき僕は大学院2年ということもあり就職活動に時間を取られてあまり練習が出来ていませんでした。このころのスタンダードは6th、MM、NE、PR、IN、PSが使用可能でメタの中心はFiresと呼ばれる赤緑の速攻デッキでした。僕もろくに練習せずにFiresでいいだろと考えていたのですが、大会3日前にイエサブ福岡店で練習した際、同系対決のあまりに不毛な展開や福岡で根強い人気の白青コントロールにかなり不利だということが分かり焦りました。そのときにふと周りを見るとFiresにも青白にも有利なカウンターレベルを回しているプレイヤーがいて、家に帰ってすぐ自分なりにデッキを組んで夜を徹して回したのを覚えています。
この年の日本選手権九州予選はスイスドロー9回戦の長丁場でした。日本選手権予選というのは1敗すると崖っぷちでラウンドが進むたびに無口になるプレイヤーが増えていきます。僕の場合は4回戦までは全勝で行けたのですが5回戦の黒赤の《燃え立つ死霊》が止まらずに1敗を喫し崖っぷちに立ってしまいました。そこからの3回戦は常にミスったらアウトの極限状態の戦いでした。7回戦は追加5ターン目にぎりぎりで勝ちました。そして運命の8回戦、当たったのは上位に1人だけ残ったターボ抹消でした。はっきり言ってカンレベ対ターボ抹消の相性は最悪で、まず《抹消》と《ジョークルホープス》には無抵抗、《冥界のスピリット》の対処方法がないなど全然勝ち手段が見当たりません。しかし相性最悪だからと言って諦めることは微塵も考えませんでした。1本目は2度場をリセットされるも相手が《冥界のスピリット》を引かずに生物で押し切りました。2本目は《果敢な隼》2体での攻撃を1回忘れたために相手のライフが1残り、相手のリセットが間に合ってしまいました。その後土地を引かずに生物を展開できず、相手が満を持して《冥界のスピリット》を召喚しました。「このままでは勝てない、相手の勝ち手段は遅いのでここで投了して3本目に賭けようか」と思いジャッジに時間を尋ねた瞬間、タイムアップのコールがありました。すると相手は追加の5ターンではこちらのライフを削れないことを宣言し、相性最悪のマッチをひっくり返して奇跡の大逆転勝利を飾りました。最後の9回戦はIDし、3年連続で日本選手権の権利を得ることができました。
このときの8回戦の経験は僕に新たなMagicの楽しさを教えてくれました。確かに相性の悪いデッキはあると思います。しかし例え100回やって99回負ける相性でも、1回は勝てるのですから、その1回をそのときの対戦で実現できるように最大限努力すればいいのです。メタをミスったと悔やむのは大会が終わってからでも出来ること、大会中は自分の選んだデッキで最高のパフォーマンスを出すことに集中すれば、何らかの成果は得られると思います。それがたとえ満足行くものでなくても出せる限りの力を出せたのなら、次の段階へ進むきっかけを掴むことができるのではないでしょうか。最初から勝てる人はいません、みんな敗北を糧にして成長して行く。敗北を糧にするためには全力を尽くして敗北する必要があります。その気持ちがあったからこそ、不利なマッチアップで勝利することが出来たのだと思います。
2001年日本選手権は正に就職活動真っ只中、当然満足の行く練習は出来ませんでした。1日目はIN、IN、PSのロチェで3−0、0−3でした。2日目のスタンダードはマシーンヘッドと呼ばれる黒赤デッキで2−2でドロップしました。
月曜に福岡に帰ると次の日に東京で就職試験があるというメールが届いていました。準備期間がないという理由で泣きついて日程を1日延ばしてもらい、中1日で東京にとんぼ返りして就職試験を受けました。何とか内定を貰って今の僕がいるのですが、あの時、落ちてたら僕の人生はどうなっていたのか、恐ろしくて想像することすらできません(笑)。
この年の日本選手権九州予選はスイスドロー9回戦の長丁場でした。日本選手権予選というのは1敗すると崖っぷちでラウンドが進むたびに無口になるプレイヤーが増えていきます。僕の場合は4回戦までは全勝で行けたのですが5回戦の黒赤の《燃え立つ死霊》が止まらずに1敗を喫し崖っぷちに立ってしまいました。そこからの3回戦は常にミスったらアウトの極限状態の戦いでした。7回戦は追加5ターン目にぎりぎりで勝ちました。そして運命の8回戦、当たったのは上位に1人だけ残ったターボ抹消でした。はっきり言ってカンレベ対ターボ抹消の相性は最悪で、まず《抹消》と《ジョークルホープス》には無抵抗、《冥界のスピリット》の対処方法がないなど全然勝ち手段が見当たりません。しかし相性最悪だからと言って諦めることは微塵も考えませんでした。1本目は2度場をリセットされるも相手が《冥界のスピリット》を引かずに生物で押し切りました。2本目は《果敢な隼》2体での攻撃を1回忘れたために相手のライフが1残り、相手のリセットが間に合ってしまいました。その後土地を引かずに生物を展開できず、相手が満を持して《冥界のスピリット》を召喚しました。「このままでは勝てない、相手の勝ち手段は遅いのでここで投了して3本目に賭けようか」と思いジャッジに時間を尋ねた瞬間、タイムアップのコールがありました。すると相手は追加の5ターンではこちらのライフを削れないことを宣言し、相性最悪のマッチをひっくり返して奇跡の大逆転勝利を飾りました。最後の9回戦はIDし、3年連続で日本選手権の権利を得ることができました。
このときの8回戦の経験は僕に新たなMagicの楽しさを教えてくれました。確かに相性の悪いデッキはあると思います。しかし例え100回やって99回負ける相性でも、1回は勝てるのですから、その1回をそのときの対戦で実現できるように最大限努力すればいいのです。メタをミスったと悔やむのは大会が終わってからでも出来ること、大会中は自分の選んだデッキで最高のパフォーマンスを出すことに集中すれば、何らかの成果は得られると思います。それがたとえ満足行くものでなくても出せる限りの力を出せたのなら、次の段階へ進むきっかけを掴むことができるのではないでしょうか。最初から勝てる人はいません、みんな敗北を糧にして成長して行く。敗北を糧にするためには全力を尽くして敗北する必要があります。その気持ちがあったからこそ、不利なマッチアップで勝利することが出来たのだと思います。
2001年日本選手権は正に就職活動真っ只中、当然満足の行く練習は出来ませんでした。1日目はIN、IN、PSのロチェで3−0、0−3でした。2日目のスタンダードはマシーンヘッドと呼ばれる黒赤デッキで2−2でドロップしました。
月曜に福岡に帰ると次の日に東京で就職試験があるというメールが届いていました。準備期間がないという理由で泣きついて日程を1日延ばしてもらい、中1日で東京にとんぼ返りして就職試験を受けました。何とか内定を貰って今の僕がいるのですが、あの時、落ちてたら僕の人生はどうなっていたのか、恐ろしくて想像することすらできません(笑)。
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