『俺って登場するよね』とごく一部の方に大好評のこの企画、今回は僕が初めて予選を抜けた1999年九州予選です。このころの僕は、少林寺拳法部も引退し、単位も3年間で卒業できる分を確保してたので、大学院試の準備をしつつも基本的には自由な生活をしてました。必然的にMagicにかける時間も増え、かけた分だけ勝てるようになってきたので、本気で日本選手権出場を狙ってました。このころのスタンダードは5th、TE、ST、EX、US、ULが使用可能でメタゲームの中心は何といってもNecroDiskでした。《ネクロポーテンス》と《ネビニラルの円盤》のコンボでアドバンテージを稼いで《堕落》と《生命吸収》で削るのが基本なんですけど、それにも増して《ウルザのがらくた》や《不毛の大地》と《ヨーグモスの意志》のコンボが極悪でした。対抗で《適者生存》と《繰り返す悪夢》を使ったNWO、あとはNecroDiskメタのPoxScrollが各地の予選をちょこちょこと抜けてました。ちょうど知り合いが前の日にあった中国予選で10位に入ったので、デッキの問題点を修正して大会にはかなり自信を持って臨めたのを覚えています。この年の日本選手権は関東予選と九州予選だけ2日開催という特殊なものでした。

1回戦はボトルダンスと呼ばれる《ボトルノーム》を《死体のダンス》で釣るデッキで1本目はこっちが完全に場をコントロールしてあとは止めというときにジャッジが来て不適切なメインデッキということでゲームロスの裁定を出されました。メイン/土地/サイドと書くところをメインと土地/サイド/空欄と書いていたためです。結果的に完全に勝っていたゲームを落としたことになり、2本目は取り返したものの3本目は《ボトルノーム》のためにライフを削れず引き分けスタートでした。多少落ち込みましたが引きずってもしょうがないということで気持ちを入れ替えて臨んだのが良かったのか、それから6連勝しその日は6−0−1の2位で2日目に進出できました。7回戦は1ターン目《沼》《暗黒の儀式》《暗黒の儀式》《暗黒の儀式》《迫害》《ネクロポーテンス》という生涯最高の展開をして、相手の場は《樹上の村》1枚だけで手札を全部叩き落したのを覚えています。

上位32名が生き残った2日目、僕は赤スライに負け、NecroDiskに引き分けたものの残り3戦を勝ち3位で予選を通過、日本選手権の切符を手に入れました。

夢にまで見た日本選手権本戦の結果は初日のUS、US、ULのロチェは1−2、1−2、2日目の6th入りスタンダードは《先細りの収益》が入ったMoMaで4−2という成績でした。九州予選通過者の中ではトップだったのですが、地方の通過者と日本最高峰とのレベルの差を痛感しました。後の師匠であり、今でも地方での練習不足を心配していろいろアドバイスを頂ける信下さんと初めて合ったのもこの日本選手権でした。この出会いがなければ今の自分はないといっても過言ではないので、今考えてもこのときの予選突破は非常に価値のあるものでした。

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